監修者のRAB入社時の記憶・内容

①1972年に青森放送入社

②中里町出身の井沼局長の話

③大道寺沢を検索


④大道寺沢は山鹿素行城の予定地

 

  


  

 


















 

  

賀状昔ばなし

令和4年 監修者のRAB入社時の記憶

 2021年            sub90_21.html

   
       ↑
    
矢印の
    左は大道寺牧場
    右は不動の滝

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  令和 3年

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賀状令和の目次

     <令和4年・昔ばなし>



           ① 監修者の大道寺勉は1972年
           青森放送に入社した。
      ② いきなり井沼局長から質問を受けた。
      ③ 津軽半島の中央にある中里町の
          八幡神社の祀られ主が
          「大道寺勉」で君と同名だが
          「曰(いわく)」があるのかと。

    2021年にその謎が解けた。
   高校生の頃に父光市と伯父良市の会話を聴いた。
   中里町の「大道寺沢」を正規登記してはと云う内容だった。

   55年経た2021年に「県別マップ /L 2」青森県道路地図の
   33ページの蓬田のA3の位置に
   「大道寺牧場」が記載されていた。
   そばには「津軽中里自然観察教育林」があった。

   
ここから年賀状に記載されてない地図の中の新発見です。

   
驚いた事は近くに「不動の滝」がありました。
   「津軽中里自然観察教育林」の真下に
    薄い青色文字の記載を見失っていました。
    原本の地図を何度も確認して切り取ったものを貼り付ける時
    縦書き表示の「不動の滝」を発見したのです。
    昔の地図ならトロッコ列車の森林軌道の形跡が
    あった筈
(はず)です。


    津軽半島の山越え軌道の形跡は県道2号線で
    金木営林署の西貯木場から青森市の野際公園まで
    「津軽あすなろライン」の名称が同じ地図上記載されてあった。
    「不動の滝」について山道を追って何処へ落ち着くのか調査した。
      
    その前に自己紹介します。
    私は昭和22年に金木町で生まれた。   
    今の金木は五所川原市金木町と長い名称だ。
    太宰治の実家「斜陽館」の隣りに
      古来よりあった「ねりや旅館」で誕生した。
        
    戦後2年目であり父は満洲から引き揚げて
      金木営林署に勤務していたが
      官舎はなかったので旅館を借り上げて
      仮の官舎とし同僚署員の5世帯も住んでいました。
      私は10歳まで育ち、3年生まで金木小学校へ通学した。


    「不動の滝」は金木小学校の遠足の目的地でした。
    遠足の記憶では川や滝の他にトロッコ線路もありました。







    話を賀状昔ばなしに戻します。
    55年経て「大道寺沢」ではなく「大道寺牧場」と改名され
    八幡神社も近くに現存した。
    当時父は、青森営林局に勤務し、青森・岩手・宮城の3県の
      国有地の管理をしていた。


      


  
  


  ④ 
「大道寺沢」は大道寺家が津軽藩から幕末まで
      家老として管理を命じられた山地だ。
      父の判断で「大道寺沢」ではなく民有地
      「大道寺牧場」として中里町の所有管理とし
      大道寺の名を残した。
      同様に八幡神社の祀り名を山鹿素行から
      大道寺家末裔の大道寺勉に替えた。

  
仮に付け加えるなら

 
父は元の「大道寺沢」も森林軌道も自分の力で
   木材の運搬方法を計画したようで
   先祖の私有地を無償貸与していた。

 
   
「大道寺沢」のルーツは山鹿素行城の築城予定地だった。
     下の切り取った絵図には「大道寺牧場」の右側に
       「不動の滝」も見ることができる。
        上矢印を入れ左右の位置を確認は出来ます。
        名称の文字は無理ですが立読み出来る
        環境があったらスマホと並べて比べて下さい。

  小学校の時、私の記憶では芦野公園の近くに
     近くに金木営林署の西貯木場があって10軒の
     官舎があり、空きが出来て旅館から引越した。

     この地区には機関車の「ミニSL」やSL格納庫もあった。
     ここでの知識は「不動の滝」への遠足の風景をみて
     ここの山の中はトロッコ列車も昔は通って
     木材を青森営林局まで運んだろうと想像した。
      
   五所川原市から中里町への私鉄・津軽鉄道は
     このSL格納庫のそば運行しており
      ストーブ列車などの「するめサービス」は
      観光客に大変人気があります。

  金木営林署の西貯木場から津軽半島の尾根の
    馬神山や梵珠山などの山越えし
    青森市の野際公園の近くの平地に下り
    真っ直ぐ青森営林局の貯木場へ木材を運んだ。

  最新の地図には森林軌道の痕跡がない。
    金木町から青森市まで車道の名称になり
      一般車両しか通行できない。


先の
 「不動の滝」について山道を追って何処へ落ち着くのか調査した。
  
最新の地図には山越え林道のみで中里町の八幡神社の前に行きついた。

  1972年の行政改革で林野庁は縮小され、営林局は廃止された。
  前述の
  高校生の頃に父光市と伯父良市の会話を聴いた
  中里町の「大道寺沢」を正規登記してはと云う内容だった。
  この会話が同時期の1972年でトロッコ列車の
  廃止に伴った対応策の内容だったのかも知れない。
  
実際にこの会話の前後にトロッコ軌道は廃線となり鉄くずにされた。
  私の住居はその
鉄くずにされた青森市沖館通の近くにある。


  終着駅の青森市貯木場は
    一度、野球場に整備された後の現在は
    大蔵省の職員用マンションが聳えている。





  ①
「不動の滝」から青森市までの軌道の経路を推測してみた。
    山越えで金木まで通した。
    この地区は築城に適した小山や森と沢が多く点在する。
    既に「森林公園があり中に運動公園」も整備されている
    山林道が多数枝分れしている。
    その延長線上である「芦野公園」の近くを通り
    金木町の西貯木場のトロッコ軌道に連結させた。
          
  
もう1つの方法は八幡神社までトロッコ軌道を通した。
    中里町からは金木町まで木材をトラック運送した。
    この方法は安上がりで現在なら通るが
    当時はトラックは高価で現在のように舗装されず砂利道だ。
    営林署の本質は国有林の管理である。


    私は、高校生の夏休みは弘前市から父の住む
        下北半島の
川内町へ帰省した。
        川内営林署で3年間アルバイトをした。
        公文書の整理整頓と編纂で
        紙撚りによる製本まで行った。
        最後の褒美に森林軌道に乗せて頂いた。
        下北半島は沢山の温泉が沸いている。
        湯の川温泉まで行ってトンネルの中腹の
        温泉に停止して入浴した経験をした。
        川内町の森林軌道はディーゼル機関車でした。
        50年以上前の経験です。

        2000年以降は会社のOB旅行や
              母と姉妹と共に2度訪れた。
      
        最後に訪れた時は妹の還暦記念でした。
        五代夏子・杉良太郎のPR用幕が
          多勢会場の舞台に張られていました。
          夫婦の別荘が湯の川温泉にあるそうです。
          我々の家族の宿泊時は
          カメムシの多いのに閉口した
          記憶が蘇りました。

 

  

現在の大道寺牧場付近は、黒毛和牛の放牧場が盛んに
 なっているというニュースが報道された。

最近は孫たちと会食機会が多い。
 青森市内の飲食店の「馬刺し」は金木産である。
20年前までは、五戸町の尾形店の馬刺しかなかった。
 八戸市や十和田市で桜鍋等も名物だった。
山鹿素行築城の予定地を
 牧場にかえた父の判断に感謝している。

弘前大学の牧場を戦後に金木に開いたのも影響がありか?